ブッダの生涯を追いかけて Looking for a Life of the BUDDHA

クシナガラ Kushinagar

クシナガルは、ブッダが涅槃に入った地です。
ヴァイシャーリーを出発したブッダは、途中、体調を崩し、ここクシナガルで亡くなったと伝えられています。
沙羅双樹の下で、頭を北にして、右脇を下に横たわり、「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修業を完成しなさい」と最後の言葉を残し、亡くなられました。

ヴァイシャーリーからクシナガルに向かう途中、大きなストゥーパがありました。
ケサリアストゥーパといい、アショカ王の妃が当地出身であることから作られたとガイドさんは、言っていましたが、諸説あるようです。
囲いがあって、ストゥーパには近づけないようになっていましたが、仏塔には、まだ仏像が残されていました。
巨大な仏塔であり、調べればもっといろんなものが見つかるような気がするのですが。
クシナガルの宿は、涅槃堂の近くでした。
そこに、インド各地との距離が表示されていましたが、ブッダが、この過酷な環境の中、いかに広範な地域を遊行したかがわかります。
現代における車での移動でも、たいへんなんですから。
平和の鐘?がありました。
手前は、涅槃堂。その奥が仏塔です。
仏塔は、アーナンダの仏塔(アーナンダストゥーパ)と考えられており、中に元々仏塔があり、その前に、涅槃堂が作られたものと思われます。
『インド佛蹟巡禮』に写真が掲載されています。構造は、変わりませんが、かつての外見は、こんなに綺麗ではなかったようです。
涅槃堂の中の巨大な涅槃像。
アジャンタの涅槃像に並ぶ、巨大な涅槃像です(全長6.1m)。
ここには写っていませんが、多くの信者が祈りを捧げています。
1876年にカニンガムが発見したもので、金箔は、1956年に、ネールが施したものだそうです。
仏像としても、素晴らしいものです。
5世紀のものと伝えられ、歴史的にも、芸術的にも、貴重なものです。
回りには、遺跡が広がります。
僧院跡でしょうか。
涅槃堂前の道。
ブッダガヤのような賑わいは見られません。
涅槃堂からちょっと行ったところに荼毘塚があります。
ブッダは、ここで荼毘にふされました。
何重もの布に包まれ、香木で荼毘にふされたといいます。
『インド佛蹟巡禮』には、ヒラニヤヴァティ河畔、天冠寺跡の荼毘塔(直径46m、高さ約15m)とあります。
荼毘塚の周りにも、建物跡が残ります。
荼毘塚の裏には、最後の沐浴をされたという河が、今も流れています。
ホテルが近かったので、夕方にもう一度訪れました。
この木は、沙羅双樹なのでしょうか?
翌朝、やはり近くの遺跡に行ってみました。
ブッダが最後に説法した場所と伝えられています。
祠堂は、閉じられていましたが、中に、降魔ポーズの仏像がありました。